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東京高等裁判所 昭和22年(オ)11号 判決

上告人

古市廣次

被上告人

谷犬一

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告理由は末尾に添附した上告代理人の提出した上告理由書に記載してある通りであるから、順次各点について判断する。

上告理由第一点に対する判断

上告人及び被上告人が、それぞれ原抗告審判手続で論旨の冐頭に掲げてある通りの主張をしたことは、記録上明らかである。したがつて原審としては上告人の主張する和解契約が成立したかどうか、その和解契約が被上告人の主張する通り有効に取消されたかどうか、又は少くとも右和解契約の成立なり取消なりが被上告人の利害関係人たる地位に及ぼす影響について判示すべきであつたが、原審がこれらの点に関してなんらの判示をしなかつたことは上告人の云う通りであるから、上告人が納得できないのも無理からぬ次第である。しかし、原審は、被上告人が本件無効審判を請求するについて利害関係を有するかどうかの点については、同人が「結髪用引締「ロール」卷器具を製造販賣した」と云う事実を認定したうえ、同人の利害関係人たることを肯定し、その認定の証拠として、甲第一、二、四乃至十一号証、乙第一乃至三号証並びに第一審証人石原孝之介、西谷実郞、靑木專次及び神木專二の各証言を掲げておるのであつて、右認定事実を表示するに用いた字句は簡單にすぎるうらみはあるが、これを以上の証拠と対比して見るときは、原審は被上告人が上告人の主張する和解契約の成立した日の前後に亘つて結髪用引締「ロール」卷器具の製造販賣をしてきた事実を認定したものと解することができる。而してかような事実が認定せられた以上は、前記和解契約の成否又はその取消の有効無効に拘らず、被上告人の製造販賣行爲が違法であるかどうかは別として、少くとも被上告人が実用新案法第二十二條でいう利害関係人に該当することは明らかであるから、これを肯定した原審の判断は結局正当であつて、論旨は理由がないことに帰するのである。

上告理由第二点に対する判断

上告人が原抗告審判手続において被上告人が第一審で本件無効審判の請求を取下げたにも拘らず第一審が登録の有効無効について審決したのは違法だという主張をしたことは記録上明らかである。取下の有無の如きは、原審としては、当事者の主張がなくとも進んで調査すべき事項であるが、当事者からかような主張があつた以上は、先ずこの点について判示すべきであることは、今更云うまでもないことである。しかるに、原審がこの点についてなんら判示しておらぬことは上告人の云う通りであつて、上告人から論旨のような非難がでるのは尤もだと云わざるを得ない。しかし本件記録には、上告人の主張するような取下書(原本)の編綴がなく取下書が特許局に提出された形跡もなく、また被上告人から取下の申立があつたと云う調書の記載もなく、ただ上告人から取下書を乙第五号証として提出したことを窺い得るにすぎない。また上告人が論旨で主張するところによつても、上告人は和解契約締結の際、被上告人から審判請求の取下書を貰い特許局に提出方を依賴されたので、これをしたところ、印鑑相違のため返戻されたというのであるから、これらの事情を綜合すれば、格別の反証がない限り上告人は被上告人に代つて被上告人の捺印のある取下書を特許局に提示したところ、その印鑑相違のため受理せられなかつたので、強いて受理を求めることもせず、そのまま手元に預つて置いたものと認めるのが相当であり、したがつて右取下書は特許局に対して正式に提出されたこともなく、また特許局においてこれを受理したこともなかつたのであつて、取下はその効力を生じなかつたものということができる。されば、第一審が本件請求の内容に立入つて、登録の有効無効について審決し、原審もまた請求の適否を審査しないで、直ちにその内容について審決したのは結局正当だつたこととなり、本論旨もまた理由がないことに帰着するのである。

上告理由第三点に対する判断

上告人の主張する和解契約が被上告人の主張する通り強迫によるものであるかどうかという点は、被上告人が本件無効審判を請求し得る利害関係人であるかどうかを判断するについて影響がないことは上告理由第一点で説明した通りであり、また被上告人が本件実用新案の登録出願前にこれと同一のものを製造販賣していたかどうかについては当事者双方から多数の証拠の提出があつたことは記録上明らかであるから、上告人がこれらの点に関して証人神木專二の再訊問(同人が第一審で証人として訊問せられたことは記録上明らかである)を申請したのに対し、原審がその必要がないものとして訊問しなかつたからといつて、審理不盡の違法があるものということはできない。論旨は原審の專権に属する証拠取調の限度を非難するものであつて到底採用することができない。

上告理由第四点に対する判断

実用新案法第二十六條によつて準用せられる特許法第百十八條第一項の規定によれば、審判又は抗告審判において必要があるときは、民事又は刑事の訴訟手続の完結まで審判手続を中止することができるというだけであつて、これを中止せねばならぬという規定はなく、また審判官において事件が、審決をなすに熟したものと認めたときは何時でも審理を終結できることは、右実用新案法の規定によつて準用せられる特許法第百五條の規定によつて明らかである。原審は本件抗告審判事件が審決をなすに熟したものとして審理を終結したものと見るべきであつて、その結果たとえ上告人が、その主張するような証拠の提出申請をなす機会を失つたからといつて原審に審理不盡の違法があるものということはできない。本論旨は原審の專権事項を云爲するもので理由がない。

上告理由第五点及び第六点に対する判断

第一審証人石原孝之介の証言によれば、原審が判示した通り甲第一号証に示す結髪用引締「ロール」器具、(これが本件登録実用新案の結髪用引締「ロール」器具と同一構造のものであることは原審が判示しておる)が本件実用新案登録出願の日(出願の日が昭和十二年八月二十八日であることは原審が認定しておる)前である同年六月二十五日以來被上告人によつて公然と製作販賣されていたという事実を認定できないことはない。また論旨(第五点)でいう(1)乃至(3)の如き点については、原審として必ずしも上告人に対し逐一釈明を求めた上でなければ判断できないものではないから、これをしなかつたからといつて釈明権の行使を怠つたものということはできない。上告理由第六点の論旨も原審が適正にした証拠の採否及び上記事実の認定を上告人独自の見解で非難するにすぎないものであつて、原審が右事実の認定をするについて、所論各証人の証言に一顧も拂わなかつたものでないことは、原審決を通覽すれば、容易に了解し得るところであり、また所論のような和解契約が成立したからといつて、被上告人が本件実用新案登録出願当時本件実用新案と同一又は類似のものを製造販賣していなかつた事実を裁判外で自白したものと認定せねばならぬものではない。要するに、原審には、上告人のいうような釈明権不行使、採証法則違背、審理不盡又は理由不備等の違法はないのであつて、論旨は、いずれも採用に價しない。

よつて、実用新案法第二十六條、特許法第百十五條、民事訴訟法第三百九十六條、第三百八十四條、第九十五條及び第八十九條によつて主文の通り判決する。

上告理由書

上告人 古市廣次

被上告人 谷犬一

右当事者間昭和二十二年(オ)第一一号実用新案登録無効請求上告事件に付き上告人は左の如く上告理由を陳述する。

第一点

上告人は原審において先ず抗告審判被請求人(被上告人)は本件登録実用新案と同一又は類似のものを絶対に製造販賣又は拡布しないことを誓約した和解契約が当事者間に成立したるをもつて被上告人は本件審判請求を爲すに付き利害関係を有せずと主張し被上告人はこれに対しその和解契約の締結の事実を認め強迫によるものなれば取消すと主張し本和解契約の効力につき双方相異る主張をしているのであるから原審判はこれにつき先ず判断をしなければならない何故なれば審判請求につき利害関係を有するや否やは審決当時の状態において決すべきものであつて審決迄に当事者間において和解契約が成立して被上告人において本件実用新案と同一又は類似のものを製造販賣又は拡布しないことを確約したものであればその和解にして有効なる限り被上告人は本件実用新案を無効とするにつき何等利害関係を有せざるに至り本件審判請求は不適法なることは明らかにして却下を免れざるものと謂わねばならぬ(昭和六年抗告審判第二四八号同七年三月三十日審決)然るにこの点につき原審判は申立及び理由の要領中に摘示をしているが審決の理由においては乙第四乃至六号証によつては抗告審判請求人が本件審判を請求するについて利害関係を有しなかつた者とすることができないと判示するのみで判意不明であり理由を備え無い和解契約の成立を認めないのか認めて而も之を以ては未だ利害関係の不存在を認めるに足りないとしたのか判らない原審は重大なる爭点につき判断を遺脱したる理由不備の不法がある(大審院大正五年(オ)第三二一号同年十月二十七日判決判例大系民事訴訟法第四卷四二七〇頁以下御参照)被上告人は右和解契約は締結前における係爭品の製造販賣について被上告人の責任を解除するものでないと反駁している(原審決摘示(ロ))けれどもこれが全面的和解であることは全文を通読すれば明瞭である又第三條には特に本件審判請求取下の義務を明記しているからこれに違背して審判を遂行することは信義に反し到底正当な利害関係を認めるには適しない。

第二点

上告人は右和解契約とは別個に本件審判請求につき取下があつたことを主張しているのに原審決はこの点につき何等言及していない上告人は前記和解契約締結の際被上告人より審判請求の取下書を貰いこれを特許局に提出方の依賴を受けたのでこれを爲したところ特許局は印鑑相違のため返戻せられたのであつた印鑑が相違しようがしまいが眞実被上告人において取下の意思を表示して特許局へ提出した以上本件審判請求は取下により終了したものといわなければならない然し上告人は右取下書の返戻があつたので不止得その取下書を乙第五号証として提出し原審において昭和十八年十月四日附弁駁書第二項において被上告人は本件審判を受くる権利は審判請求の取下書の提出と共に消滅したものであつて一審々決は取下ありたる審決につき審決を爲したものである旨主張し原審決にもこれを摘示しておりながら取下の有無及びその効力に関し何等の判断を與えていないのは重大なる爭点に対する判断遺脱の違法ありというべきである。

第三点

原審決は本案についての判旨において「抗告審判請求人は証人の訊問を申請しているがその訊問事項をみるに訊問の必要がないものと認めるからこれを行わない」といつているが上告人が抗告審において申請している証人神木專二に対する訊問事項をみるとき同人は上告人の主張する和解契約の締結の立会人であつて重要な証人である依つて右和解が当事者双方の円満談笑裡に締結せられたるものであるか又被上告人の主張する強迫により締結せられたるものであるかという本件審理について重大なる点の証拠に関するものであり又本案に関しても被上告人が上告人の本件実用新案出願前において同一のものを製造販賣し居りたるやという重大なる証拠に関するものであるそれを訊問の必要がないといつて証拠調をしないのは審理不盡も甚しい。

第四点

上告人は本件審判事件とは別に大阪地方裁判所に昭和十六年(ワ)第二〇九〇号事件として実用新案法定実施権確認及び反訴が繋属していて同事件においては審判事件に現出していない証拠が出されているからその事件結審の上その証拠を全部本件に新証拠として提出するため審理の中止方を原審判長に願出ていた(昭和十九年四月十七日附審理中止の申請及同年十一月一日附上告書御参照)然るに昭和十九年末より昭和二十年にかけては何人も知る空襲の激化に民事訴訟の方も殆んど停止の状態であつた終戰後も民事訴訟の進行遅々として進まず今日に至るも結審になつていない状態である上告人は民事訴訟の終結後その証拠を充分に本件審判事件に提出し度く存じおりたるに突然審決をせられたのであつて上告人の前記中止申請乃至上申と終戰前後の社会事情とを考慮するとき事実審の最後である原審が上告人に新証拠を提出する余裕を與えず急遽審決したのは審理不盡であるとなさねばならぬ(上告人は右民事訴訟において石原孝之介の僞証について書証人証による立証に心血をそそいでいる)

第五点

原審決は証人石原孝之介に対する証人訊問調書のみにより被上告人によつて昭和十二年六月二十五日以來本件実用新案と同一の構造のものが公然製作販賣されたものであり從つて本件実用新案はその出願前公然知られたものである旨認定しているが同人の証言には昭和十二年六月頃月二三十打を谷より仕入れた旨陳述しているに過ぎない從つてこの一片の証言のみをもつて公然性を肯認することはできない。尤も甲第一号証即ち右石原の証明書には公然販賣したる旨の記載あるも同号証は原審が公然性を認定するの資料となしおらないところであるが仮りにこれをも資料としたとしてもその証明書は一私人が訴訟のため作成した一片の私証書にすぎずその内容も抽象的にすぎて斯るものを以てしては吾人の常識上これを事実認定の資料となし得ざるものと思う上告人は被上告人の公然販賣の主張に対し第一審答弁書中において

(1) 被上告人の顧客を誘引するに足る店舖の所在の明示方

(2) 公然見本を呈示し得意先に販賣を依賴したりと言うその得意先の住所氏名

(3) 合資会社石原孝商店外数名に卸賣との主張に対し「外数名」の住所氏名

の釈明を求めたるに被上告人は遂にこれを明確にせなかつた。公然性を認定するには右の如き諸観点よりして被上告人が果して公然製造販賣したるやを認定せぬばならぬ然るにこれらについて意を用いたる跡聊もないのは釈明権の行使を懈り審判不盡に陷りたる違法ありと言うべきである。

第六点

証人靑木專次及神木專二の証言にて第一、第三号証を綜合すれば被上告人が本件実用新案の登録出願前に製造販賣せる結髪用「ロール」捲器具は訴外靑木專次の所有に係る登録第二五〇三七〇号実用新案と同一の構造に係るものと訴外靑木修三の所有に係る登録第二四九〇三一号実用新案と同一構造のものであつて被上告人が本件実用新案と同一のものを製造販賣したのは登録出願の後である昭和十三年末か昭和十四年一月頃と認定さるべきであり又その後和解契約が成立して被上告人は本件実用新案権を認めこれと同一又は類似のものを製造販賣しないこと及び謝罪廣告までも約した事実は出願当時被上告人が製造販賣していなかつたことを自白したものに外ならない。然るにこの靑木專次及び神木專二の証言に一顧をも拂わず右自白が何故に爲されたかに審理のメスを入れた形跡もない原審決の簡單短かさには驚き入る次第である。畢竟原審決は採証の法則に違反するか又は審理不盡理由不備の甚しきものである。

昭和二十二年七月 日

右上告代理人 岡本尚一

鳥〓新一

東京高等裁判所第六民事部 御中

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